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奇跡のリンゴ [書評]

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録

  • 作者: 石川 拓治
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2008/07
  • メディア: 単行本



読む前には、ビジネス書の中のひとつくらいの感じでいたのだが、読んでみると結構違いましたよ(汗)
一応、ノンフィクションの作品だが、最後に残ったのは、何というか表現が難しいのだが、生物としての根源・本質的なあり方、自然科学の深層、ある種哲学的な境地、といったものだったよ!
なんというか頭が下がる想い、そんな本だった。
なかなかの良書であると思う。

ただ、少々残念な部分として、著者が必要以上に情緒的に、あるいは感傷的に描きすぎているのが残念な感じがする。(あんこが多い)
木村さんへの愛、思い入れがそうさせたのかもしれないが、情緒的になればなるほど、それらが嘘っぽく、また本当の重さを失っていると思う。

この本に必要なのは、ひたすら木村さんの発した生(ナマ)の言葉であり、著者はそれを書き記すだけの客観性を失わないほうがより強い印象が残せたのになぁと感じざるを得なかった。

逆に、欲しかったなぁと思うのは、客観性を伴ったデータと検証である。
例えば、リンゴの無農薬は本当に難しいのか?それらの客観的に証明すること(例えば学者の言葉の引用であったり、インタビューであったり)や、何故難しいのかを学術的な観点からの説明を入れるなどである。

何が木村さんのリンゴ畑は一般と違うのか(書内ではより自然と表現しているが)それの学術的・データ的な裏づけがあれば、凄さが引き立つのになぁと・・・。

そういう意味では、ちょっともったいない。

また、付き合い的な配慮なども考慮して、あえて盛り込まなかったようだが、やはり近隣の人たちへのインタビューや、リンゴ農家の意見など(礼賛ではなくて、批判的・懐疑的なものこそ多く)も盛り込んだほうが、やはりよかったのだろうと思う。

ただ、重ねて言うがそれらを差し引いても十分興味深い本である。

という事で、印象的だった部分を!(若干長いが・・・)

■(P113)木村が「バカになればいい」と言ったのは、そのことだ。
人が生きていくために、経験や知恵は欠かせない。何かなすためには、経験や知恵を積み重ねる必要がある。だから経験や知恵のない人を、世の中ではバカと言う。けれど人が真に新しい何かに挑むとき、最大の壁になるのはしばしばその経験や知恵なのだ。

■(P128)自分にはもう何も出来ることはないと思っていたのが、まるで嘘のようだった。何も出来ないと思っていたのは、何も見ていなかったからだ。目に見える部分ばかりに気を取られて、目に見えないものを見る努力を忘れていた。

■(P177)「まぁ、そういう感じで、ほんとに少しずつではあったけど、私のリンゴを買ってくれるというお客さんが増えていったのな。
あの時のリンゴはどういうわけかすごく甘かったんだよ。今よりもずっとな。甘いなんてもんではなかったな。ナイフで切るとき、切ったリンゴがナイフにくっついてくるほどであった。なんでだろうな。リンゴの木が、ちょっとだけ、私を手助けしてくれたのかもしれないな。でも、あんなリンゴをよく買い続けてくれたものだと思うよ。最初の頃は畑の状態も安定していなかったから、リンゴに甘みがのらない年もあったの。傷物も、虫食いも多かったと思うんだけどな。『甘くないから、リンゴに塩つけて食べた』って、手紙が来たこともあったよ。あの時代を乗り越えられたのは、とにもかくにもお客さんたちのおかげだ。甘くなくても傷があっても食べるから、頑張ってくれって。私を支えてくれたのな。リンゴの実をならせるのはリンゴの木で、それを支えているのは自然だけれどもな、私を支えてくれたのはやっぱり人であったな。
考えてみればよ、カマドケシだ、バカだと、周囲から白い目で見られたのも事実だけれど、そういう時でも味方をしてくれる人はいたのな。私が電気代とか水道代が払えないときにこっそり払ってくれていた友達もいたし、スクラップ屋の人もそのうち代金を取らないようになったの。『これ持ってけ』って、程度のいいエンジンとかを取っておいてくれたりな。お金を借りていた銀行の支店長も、利息だけでも払おうと思って私がお金をかき集めて行っても受け取らないことがあった。『それ払ってしまったら生活費がなくなるだろう』って言ってな。税務署にも赤紙は貼られたけどな、課長さんは『いつかあんたの時代が来るから』って、ずっと励ましてくれていたしな。リンゴがなるようになってからは、隣の畑の持ち主が、私の畑との境にある自分のリンゴの木を全部切り倒してしまったんだよ。この人は、私にリンゴの花が咲いたことを教えてくれた竹谷銀三さんの息子の誠さんなんだけど、『木村さんの畑に自分の撒いた農薬が少しでもかかったら、無農薬が台無しになる』って言ってな。地元のフランス料理店のシェフ、山﨑隆さんが私の畑に来てさ、少しでもリンゴが売れるようにって、私のリンゴを使った料理を考えてくれたりな。いろんな人が支えになってくれたから、私もなんとかかんとかやって来られたんだよな。リンゴがならなかったときは、とてもそんなことまで考える余裕はなかったんだけどな、少しずついろんなことが上手くいくようになって、だんだんそういうことがわかるようになった。
 リンゴの木が、リンゴの木だけでは生きられないようにな、人間もさ、一人で生きているわけではない。私もな、自分独りで苦労しているようなつもりでいたけどよ、周りで支えてくれる人がいなかったら、とてもここまではやって来られなかった。

■(P193)自然の手伝いをして、その恵みを分けてもらう。それが農業の本当の姿なんだよ。そうあるべき農業の姿だな。今の農業は、残念ながらその姿から外れているよ。ということはさ、いつまでもこのやり方を続けることは出来ないということだよ。昔は私も大規模農法に憧れたけど、その大規模農法地帯はどんどん砂漠化しているわけだからな。アメリカの穀倉地帯も、昔のソ連の集団農場も、今どうなっているか見たらすぐわかる。どんなに科学が進んでも、人間は自然から離れて生きていくことは出来ないんだよ。だって人間そのものが、自然の産物なんだからな。自分は自然の手伝いなんだって、人間が心から思えるかどうか。人間の未来はそこにかかっていると私は思う。決して大袈裟でもなんでもなくな。私に出来るのは、リンゴの木の手伝いをすることだけだ。たいしたことが出来るわけじゃない。だけどそれは人間の将来にとって、きっとためになることだって。これは少々大袈裟だけどもな、でも心の底からそう思うようになったんだ

■(P197)木村が本気だなと思うのは、米にしても野菜にしても、無農薬無肥料の栽培で収穫が安定してくると、次は出来るだけ価格を下げるようにとアドバイスしていることだ。
(中略)少なくとも、誰にでも買える値段でなければいけないと木村は思っている。
値段が高くても、買ってくれるというお客さんはもちろんいるだろう。
無農薬無肥料で農作物を栽培するのは手間もかかるし、農薬や肥料を使う農業に比べればどうしても収穫量が少なくなる。出来るだけ高い値段で売りたいというのが、生産者としての当然の気持ちなのもよくわかる。
けれど、それでは無農薬栽培の作物はいつまで経っても、ある種の贅沢品のままだと木村は言う。無農薬作物が裕福な人のための贅沢品である限り、無農薬無肥料の栽培は特殊な栽培という段階を超えられないのだ。


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