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【W杯2010】日本vsパラグアイ を終えて。。。 [サッカー]

パラグアイと延長を戦って、PK戦で敗戦。
結果だけを見れば、十分に健闘したといえる状況と思う。
でも、イマイチ結果に不満な自分がいたりする。
それは、なぜだろうか?

パラグアイ戦は、日本が本当に体験する、ある意味、また新たなステージだった。
そこで、どうだったかというと、オイラのイメージとしては、“怖がっていたな”という風な印象を受けたのだ。
思いっ切りやろうという感じよりも、ちょっと腰の引けた、(デンマーク戦の時にはあったように思えた)積極性が低いゲーム展開だったように見受けられたということである。
例えるなら、緒戦のカメルーン戦のときのような感じである。

もしかしたら疲労の問題でカラダが動かなかったのかもしれないが、オイラとしてはそんなに怖がらなくて、デンマーク戦と同じように相手のよさを消すことにプライオリティを置きながらも自分たちのエゴを出しても大丈夫だよ、と思っていた部分が不満の源泉ように思ったのかな、などと振り返って思うのである。

パラグアイ戦を観て(というか大会全体を通じてかもしれないけど)感じていたのは(会見で岡田監督も認識しているのだな、とは思ったが)、今大会リアリズムに徹してあのような戦術を使用した。
それ自体は、今の日本の実力と世界の実力比較して現実的なチョイスで理解も出来る。
しかも日本のディシプリン、チームワーク力重視という良い特性にうまくマッチした。
こういう方向性をベースとして今後も戦っていくのもありかもなと感じた。
ただし、それでもやはりそのベースに攻撃の怖さをどう付け加えていくか、ゴールにどう向かうのかという部分に日本の特性を取り込んでいくことが課題で、そこを避けてはいかれないなと、考えさせられた試合だった、というのがひとつ。

もうひとつは、言っても詮無いことであるが、オシム氏のサッカー日本化では、どのようになっていたのだろうか?どちらがより日本的になったのだろうか夢想をしてしまったということである。

どちらも試合自体の内容とは、かけ離れているかもしれないが、細かい部分どうというより、そういうことを考えながら、楽しさに浸りながら観たゲームだったということである。


98年の初出場の時は、今思うとやはり出場しただけで、スゴイ盛り上がりで、祭りというか舞い上がっていたなと、大会で勝利をあげて決勝トーナメントへ進出した今大会を見てあらためて感じた。
だって、“初出場のときの感覚”と“決勝トーナメント一回戦に挑むときの感覚”が同じような感じだと思うもの。
そう考えると、日本人も随分と贅沢になったなと思う。
そして、もしかしたらその積み重ね(=国民の要求レベルの高さ≒サッカーインテリジェンスの高さ)が、レベルを上げていくのかもしれないなと思う。


総括しようと思っているわけではないけど、いつ書けるか分からないので最後に「総括」的にちょっとだけ。
今大会には、2つの姿があったと思う。
ひとつは、言うまでもなく大会自体の成功。
それは、リアリズムに徹したサッカーへの変更というかチョイス。
(そして、上述もしたようにそれが偶然にも日本人の特質・長所にもマッチングが取れていた)
ひとつの大会を成功に持っていくためのチームビルディングの成功(偶然かもしれないが・・・)の結果。

ふたつめは、大会に至るまでの強化のあり方の問題という失敗。
それは、監督の現実レベルの認識の甘さが原因だったかもしれないし、協会そのもののビジョンの問題だったかもしれない。
(23人のメンバー選出方法から、メンバー構成自体にも問題は波及したと思う)
“世界”と“アジア”。
この2つを明確に分けて戦略を考える必要があったのだろうけど、しかもそこには非連続的な違いがあったにもかかわらず、それに気付かず(気付かない振りをした?)連続的なチームコンセプトを掲げた。
要は、マーケティング不足だったと!

その2つの姿があったように思うということだ。


いずれにせよ、
日本は良い経験を積み上げた、良いことも悪いことも。
どうすればうまい結果を得られそうかのヒントもつかんだ。
収穫の多い大会だったのではないだろうか!
お疲れ様&ありがとう!

そして、オイラはまずはJリーグに行こうと思う。


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