なでしこJAPANに思う。。。 [サッカー]
やはり女子サッカーの話題に少し触れておこうと思う。
女子W杯、決勝トーナメントに入ってからの2試合はリアルタイムで観戦した。
(ドイツ戦とアメリカ戦だ。この2試合になったのは単に休み前だったからに過ぎない)
正直、勝てると思って観てはいなかったし、自分が生きている間に男子とか女子とか関係なくW杯を掲げる瞬間を見ることができるとは思ってもいなかった。
心が震えた。
でも、ここまで触れずらかったのは、サッカーファンでありながら女子サッカーには大きな注目を払ってきたわけではなかったことや、そもそも女子サッカーにはもっと適したピッチの大きさ(男子と同じでは広すぎると個人的には思っている。よりレベルの高いサッカーをみせる為には適したサイズがあると考えている)にすべきと思っていたこと、同様にゴールの大きさも変えるべきだと思っていること(今のサイズでは、GKの重要性が非常に高すぎる。点は多く入るのかもしれないが正直見苦しい残念な印象の失点も多いという印象が強い)もあって、積極的な目で応援してはいなかったという想いがあったからである。
なのに書こうと思ったのは、「なでしこ」フィーバーが巻き起こり、いくつかのメディアでの文章やインタビューを拝読して何点か思うことがあったからだ。
まず1つ目は、彼女たちのプレーしている環境についてだ。
多くのメディアで彼女たちはプレーだけでは食べていかれず、他にも仕事をしながらのプレーになっていることを美談のように取り上げている。
メディアの仕事は、そうじゃないだろうということだ。
今回、W杯制覇という望外の結果を得たのだ。せっかくの流れをしっかりつないでいける仕組み・組織を作っていかないといけないと思うのだが、業界メディアも含め食い潰しているだけに過ぎないのがあまりにも残念だなと思う。
フォローすべきなのが、影響力を持っているメディアの本来のあり方ではないだろうか?
女子サッカー人口の変遷はどうなっているのか?継続的に育成・強化、そして文化として根付いていくためにあるべき形とはどういうものなのか?比較的上手くいっている(?)アメリカやドイツとの違いは何なのか?その中からの日本らしさでの構築についての議論や動きがあまりにも少ないのではないだろうか?
動いているのは、極一部のジャーナリストと誰よりも「なでしこ」JAPANのメンバーや「なでしこ」リーグの選手だけである。
残念でしかない。
2つ目は、なぜ「なでしこ」JAPANは強かったのか?についてだ。
分かりやすく見れば「なでしこ」は自分たちの強みを活かしたサッカーをしたからという風になるのだろう。
もちろんそれはそうなのだが、実は彼女たちの強みであるあのスタイルの裏には、相当量のハードなトレーニングがあり、その賜物だったのだなと気づかされたことだ。何ともいえないショックを感じたのである。
実際の試合で、彼女たちがスタミナや走り負けているシーンは一度もなかったではないか?なぜ気付かなかったのだろうということと、どれだけの想いと努力があったのだろうということに想いが飛んだからである。
そして振り返ってみて、自分はそれだけの情熱を何かに費やしているかと考えるとさらにショックが大きいのだ。
また、余談気味ではあるが、そういう部分ではオシムさんがやっていたこととも似ているのではないだろうかという感想もある。
3つ目は、グループの関係性である。
今大会の「なでしこ」は、コミュニケーションもよく取れていて、かつ仲良しで「なぁなぁ」なだけでない、むしろある意味際どいギリギリの関係の中で言いたいことはいいながらも気を使うといったグループが構築されていたのではないかと推測できることだ。
選手もそうだが、スタッフも含めものすごいことだったのだろうなと感心するばかりである。
そしてトータル的には、「なでしこ」強さの秘密は、それらが全て複合したものだったのだろうと思う。
「強調(人間)」と「危機感(ハングリー精神)」、「想い」の全てである。
最後にもうひとつ。
トルシエ・ジャパン、ジーコ・ジャパン、オシム・ジャパン、岡田ジャパン、ザック・ジャパンと男子は監督ごとに意味も分からず愛称が変わる。
しかし、女子は「なでしこ」という言葉(=理念)を得た。
具体的に何かというと、これだって不鮮明といえば不鮮明であるが、日本人であればなんとなく「なでしこ」と言ったら「日本らしさ」でしかないと無意識に想うのではないだろうか?
そして、「なでしこ」の幸運は「らしさ」であるというイメージを得たが故にその「らしさ」を求めざるを得なかったという部分にあったのではないだろうか。
言葉の妙である。
何にしてもおめでとう、そしてありがとう!
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